あっという間に、外は銀世界です。
今年は雪が早くて、量も多いです。
鶏小屋まで、エッサホイサと除雪。
鶏たちは、雪が嫌いですっかり引きこもっています。
頭の骨はこうなってて、ここに筋肉がついてて、ここから耳が立ち上がって、と、立体構造が鮮明に頭に浮かびあがり、予想外にそっくりに作れて驚きました。
日に日に痩せていくカイリの身体から、骨と筋肉を感じて、犬の骨格を学んでいたようです。
・・・ほら、こうやって私の中にカイリの感覚は染み込んでるやん。
雪のカイリを抱きしめて涙が溢れました。
カイリは、落ち葉の季節にこの世を去りました。
15年と4ヶ月、私の人生を全力で駆け抜けていきました。
最後の日々のことは、思い出すと悲しくなるけれど、心配していたひどい発作や痙攣、呼吸困難などで苦しむ様子はあまりなく、穏やかな最期でした。
夜に抱いてトイレに出していた夫の腕の中で、力尽きました。
いつもの夜に、いつもの外トイレ。
いつもの夫の腕の中。
色々、ホッとしたのだと思います。
そして次の日、眠るように穏やかな表情をして、カイリは大好きな梨の木の下で永遠の眠りにつきました。
それからの日々、私はかつてないほどの悲しみに襲われました。
カイリが寝ていた布団や枕、車椅子、食器、色々触って眺めていると、胸が苦しくなって涙が溢れてきます。
それらに触れては、こみ上げる気持ち。
忘れたくないのに日々薄れていく感覚への寂しさ。
いつでも我慢せず、思う存分に泣きました。
カイリの痙攣発作もなく、バタバタの気配が消えた家は妙にシーンと静まり返っていました。
ネロもジュシィもなんだか静か。
ご飯を作る気持ちすらも起きず、かといって生活自体はズーンと沈んでいるわけじゃない。
嫌でも淡々と、時間は過ぎていく。
日常は続いていく。
だけど、突如感じる強い寂しさ。
あれ?
カイリのことは夢の中の事だったのかな?などと、居なくなってしまったことへの大きな違和感を常に感じていました。
1ヶ月半が経った今、新たな生活にも慣れ始め、寂しさはあるものの、良き思い出として、カイリは心の中で生き続けています。
いずれは必ず来る別れだったのだから、これで良かったと納得もしています。
カイリが私に教えてくれたことは、本当に数え切れないくらいあって、カイリによって私は育てられたなぁと感じることが多いです。
1人で飼っていくんだから、どこにでも連れて行ける犬に育てなきゃ!と気合いを120%入れてしつけやトレーニングをしているのに、思うように行かないことが、当初はいっぱいありました。
トレーニングをビシバシやればやるほど真逆の状態になっていったりして。
でも、どんな方法であれ、全力で取り組んだからこそ、見えてきた事も後半はたくさんありました。
渦中は大変な思いをした事もあったけれど、その奮闘こそが宝だったんだなぁと今となっては思います。
最後の介護生活では、カイリはもちろん頑張ったけれど、夫も私も、きっとネロやジュシィだって家族全員で二人三脚で乗り越えました。
カイリとの最後の共同作業だったと今となっては思います。
その時期には、もう戻らない日々への悲しい思いもずんずん湧いてきて、涙が止まらなくなる時もたくさんあったけれど、それと同時に私は、自分の中にある、犬という生き物への情熱がどんどん、どんどん溢れて来るのを感じました。
最後の最期にカイリは、その生き様を通して、消え行く命を看取るという、悲しいけれど決してそれだけじゃない、ものすごく大きな体験を私たちにプレゼントしてくれました。
犬は、どんな状況になっても、自分を哀れんだりなんかしない。
そしてただひたすら、生きる事を諦めない。
どんな状態になっても毎日を懸命に生き抜く、強くて純粋無垢なこの動物を、私は心から尊敬し、愛おしいと思いました。
だからやっぱり私は、これからも絶対に犬と暮らしていくんだ、と強く強く思いました。
ありがとう、カイリー。
たくさんの教えてくれた事、一緒に過ごした思い出は全部全部が宝物。
これからもずーっと、生きる糧としていつも思い出し、大切に磨き続けて行くよ。
またいつか、川遊びに行こうね!
河川敷で思いっきり走ろう!
追いかけっこしよう!
車中泊もしよう!
美味しいものもいっぱい食べよう!
さて、顔を上げて、Never give up!!
この経験を、力に変えて、今後に生かして。
カイリがくれた、宝物。