北の庭から、つれづれ生き物観察記

北の庭暮らしの仲間、犬、猫、鶏たちの奏でる愉快なハーモニー。彼らの暮らしの観察レポート‼︎

野生との境界

夏から秋の庭の色彩へ想像を膨らまし、

宿根草カタログを眺めて

ほくほくしていた昼下がり。

突然鶏小屋から特別警戒の声と、

それを聞きつけたネロが鳴くので、

慌てて窓の外をみると

彼奴がきておったわい!!!

そーっと玄関の扉をあけて、

できるだけ近くににじり寄り

「こらーーっ!!!」と全速力で追いかける。

 

足元は草原。

ふわふわとした地面を蹴って両脚を

とにかくはやく動かして、

彼奴になんとか少しでも危機感を与えなければ!!

 

そんな気持ちとは裏腹に

突然、とんでもなく非日常な動きを求められた私の肉体は

いとも簡単にバランスを崩した。

気付いた時には、両脚が宙を蹴り、

スローモーションで地面が近づいてきた。

て、手を出セーーー!!

 

で、はい、転びました。

もんどり打った、草の上。

でも、ちょっとくるぶし擦りむいたからって、

鶏の命やるわけにはいかない。

そっちが本気なら、こっちも本気。

そんな気迫だけでも伝えておかないと。

すぐさま跳び起きてまた走る。

転んだ私をみて、あっけにとられていたジュジュはそれを合図と

読み取り、再び相手をロックオンして追い始めた。

 

あぁ、犬よ、人類の友!

速い速い、颯爽と追う姿はとても美しくて頼もしい。

隣の農場の堆肥場の奥の小麦畑まで、

私たちは彼奴を追いかけた。

黄色い奴は、緑の穂に吸い込まれるように消えていった。

 

毎年、この時期は鶏もカラスも、

そして奴らキツネも子育てシーズンだ。

命を育てるため、繋ぐため、みんな必死に生きている。

そんな時期はとりわけ、ここでの暮らしで意識しなくてはならない掟がある。

それは、鶏の存在は常に野生の食物連鎖の中に入っているのだということ。

だから、野生との境界は人間がより強く保ち、護っていかなければならない。

それは絶対に曖昧にしてはならないもの。

 

先日も、近所の道路縁に小さな小さな子ギツネが

遊んでいた事があった。

それはそれは無邪気で、怖いものなんて

何も知らないくらいの可愛い子ギツネ。

車を見て、不思議そうな仕草をする。

車から降りても怖がる様子もないので、

ものすごい剣幕で足音を立てて、

追いかけ、怖がらせておいた。

今はまだ、怖いものを学ぶ時期ではなかったのかも

しれないけれど、同じ地域に住む人間としては

私たちの姿を常に心底恐れて欲しい。

それがお互いのためだと思うから、心を鬼にする。

 

最近、よく近辺に姿を見せるキツネは、

今まで現れたことのない類の個体で

人間を見ても、じーっと観察して

なかなか逃げないので不穏な予感がする。

弱くて餌にありつけないのか、

絶対に腹の足しにならないはずの、

うちの“プラごみ”を荒らしたりもした。

さらに、“燃えないゴミ”まで攻めてきた。

そうやって、人間との境界を自らつめてくるのだ。

そしてジュジュが入院して1週間、犬の存在が

家から消えた途端、マイマイが危うく捕まりそうになる事件が勃発。

姿こそ見せないけれど、野生は常に

こちらの様子を伺っているんだなと思う。

 

そんなこんなで下ろしたてのTシャツが、

草の緑と土の茶色でしっかりと汚れた。

力一杯、走ったジュジュの足の先の毛にも薄い緑色が

ところどころついていた。

息を切らしてお互いに切り上げを確認する。

自然に口をついて出る。

「ありがとうね」

「オヤスイゴヨウ」

 

 

騒がしかった鶏小屋に、また少しの平穏が訪れた。

 

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*チャボ守りをするジュジュ