まだ、生々しくて思い出すにも胸がキリキリと痛み、苦しくなります。
その日、午後から数時間出かけていた私は、家に帰ってくると、久しぶりの良い天気なので、鶏たちを小屋の外に出しました。
小屋の外のフェンスの運動場の扉も開けて、花壇の中など、少しの時間耕してくれるかな、と思いながら。
すると、鶏たちは嬉々として扉から運動場の外の世界の庭へ出て、ローズブッシュの下で虫を捕まえたり、楽しんでいました。
そして、畑を探検し、家のそばの木立の下で、夢中になって虫探しを始めました。
ちょっと、その場所はデッキにいる犬の目が届かないけど、家の近くだから大丈夫かな、と目を離し、わたしが家の中に入ったそのすぐ後。
突然、けたたましい鶏たちの鳴き声が空気を切り裂きました。
ただ事ではない声。
すぐに窓に向かうと、目に入ってきたのは、さっき鶏たちがいた場所で、正にキツネが宙を跳んでいる瞬間。
目線の先は、塀に隠れて見えなかったけれど、間違いなく鶏がいる。
大声を上げて、大急ぎで外に出る。
扉を開けて、現場に向かうと、そこには異常に静かな鶏たちの群れがいて。
キツネは忽然と姿を消していました。
しんとした、群れ。
誰かやられた?
すぐにメンバーをチェックする。
最悪、弱い雛がきっと1羽持って行かれてしまったのでは、との予想を裏切る結末。
群れのリーダー、ペロの姿がない。
跡形もなく、いない。
急いで鶏たちを小屋に入れて、犬達を放してキツネを探すけれど、草丈も高い時期で、走っていった方向すらわからない。
道路に出ても、何事も無かったかのように静かで、途方に暮れる。
ペロちゃん、ペロちゃん。
嘘でしょ。。。
悔しさと、悲しさと、ショックで涙が溢れ出す。
どんなに怖かっただろうか。
痛かっただろうか。
苦しんだだろうか。
今、どこで、どんな姿になっているのか。
もしかしたら、近くにいるかも知れないのに、助けにすら行けない。
その日の午前中、庭に放していた鶏たちを、犬と集めていた時。
犬に慌てふためいたビオラがけたたましく鳴いた時、すぐさま小屋から飛び出してきて、犬に向かっていったペロ。
それは、雛が叫んでも同じ。すぐに助けに来ていた。
きっと、きっと、雌や雛を守るためキツネにも向かって行ったんだろう。
その勇姿ですら、野生を相手にして、どんなにあっけなく散ったことかと思うと、キリキリと胸が締め付けられる。
悲しすぎる結末。
気を緩めた一瞬の出来事でした。
朝には、バルブダンベルの雛たちの小屋掃除をしている様子を、群れから離れて機嫌よくウッドデッキで眺めていたのに。
ほんの少し前には窓からネロと一緒に名前を呼んでいたのに。
卵から育てて、ようやく1年。
よく人に懐いていて、立派な尾羽と、ふさふさの金色の羽を見せびらかしてツツツ、と八の字を描き、求愛ダンスを見せてくれる。
そんなペロは遊びに来るお客さんの人気者でした。
わたしが期待したようには雛の世話はあまりせず、イクメンではなくて、少しだけがっかりもしたけれど、群れの安全はいつも気を張って護っていました。
そして、命懸けで、群れを護り抜いていった。
今まで、私はたくさんの動物と暮らし、その命を見送ってきました。
けれど、ここまで胸の痛くなるような別れは初めての事です。
ほんの数分前には、窓から名前を呼んでいた存在が、居なくなってしまうなんて。
子供の頃は、シートン動物記の銀ギツネの話が大好きでした。
人間に狩られる者の立場になって、逃げて逃げて!と銀ギツネを応援しながら読んでいました。
だから、キツネも命懸けだから、憎めない。
最初はそう思いました。
悪気の無い動物のことを、憎みたくなかったのです。
でも、そんなことは、綺麗事でした。
朝方、夕方のコケコッコーが聞こえなくなった。リリーもいつも1人。
ほんとうに、いなくなってしまったんだ。
かわいかったなぁ。
日が経つにつれて、ペロの存在を想うと、どんどん許せなくなる。
宝物を、盗られた。
そしてその命を、とても残酷な形で奪われた。
その事を思って湧いてくる感情に、嘘はつけません。
キツネの絵を描くのが好きでした。
でも、ほんとに今はもう二度と描きたくない。
もちろん私の、鶏の管理が甘かったのは言うまでもないけれど、それをいくら悔いたところでペロはもういない。
ペロが命をかけて護った鶏たちを、私たちも二度とこんなことが無いように、徹底して護らなければなりません。
※ペロの最後に撮った写真
鶏と暮らすこと、それは私にはもう無くてはならない生活です。
とても新鮮で、幸せな体験をたくさんさせてくれる。小さくとも、自然のサイクルをより身近に感じさせてくれる存在。
だけど、気を抜くとこんなふうに一瞬にして心をどん底まで突き落とされるのだという事を思い知りました。
鶏は、犬や猫とは違い、自然の生態系の食物連鎖の中に常に入っている生き物だと言うことを。
残った鶏たちは、また何事も無かったかのように、ニンバスかマフィンをリーダーとして群れを成していくのでしょう。彼らは単純で、とても逞しい生き物です。決して振り返って嘆いたりはしない。
また、私たち人間には知恵もあれば、大昔からのパートナー、犬という心強い存在もいます。
彼らのお陰で、今まで鶏小屋は被害なくやって来られたのもあります。もっと、彼らが力を発揮できる環境を整えたいと思います。
昼下がりにはペロを思い出して、まだまだ胸が痛みます。だけど、気が済むまで泣いたら、顔を上げて、また日々を歩んでいこうと思います。
雨粒の音に驚いて跳び上がっていたペロ。
そんな様子ひとつひとつが、可笑しくって可愛くってね。
だけど、ほんとは誰よりも勇敢だったんだね。
わたしは、あなたを一生忘れない。